親が宗教に嵌まると時間を奪われる
幼少期から創価学会活動を当たり前のようにやらされてきた。
親当人は構わないだろう。自分の意思で創価学会に入会したんだから。
やらされる子供はたまったものじゃない。
ただ創価学会の家に生まれたというだけで、宗教行事への参加を強要され、毎朝、毎晩の勤行(読経)を強要される。
貴重な幼少期の時間の多くを宗教行事に奪われた。
幼稚園のときまではよかった。
それと言って強制されるものはなかったからだ。
小学生に入ると月一回の少年部員会への参加が強要された。
こうして貴重な日曜日が奪われた。
当時の小学校は週休二日制ではなかったので、土曜日は午前の3時限の授業があり、週一度の日曜日は貴重な休みだった。
それが毎月一度親の都合で奪われた。
さらに、聖教新聞社発行の少年部新聞というのが週一回発行されていたので、これを毎週読まされる。
中学に上がると今度は中等部員会が毎月あり、やはり中等部新聞を毎週読まされる。
高校に行くと高等部員会が毎月、高等部新聞を毎週読まされる。
大学に上がると学生部会が毎月。
創価学会の子供への洗脳教育は徹底している。
そして社会に出ると男子部会(部活、部会とも言う)があり、他に月一回の本部幹部会という池田大作のスピーチを聞くための衛生中継(と言ってもいつ開催されたかすら定かではない録画の垂れ流しなのだが)を見るために会館に赴き、聖教新聞を毎日読まされ、大白蓮華、第三文明、グラフSGI等の各種機関誌を購読させられる。
私は牙城会をやっていたのでその任務が月に2回あり、最寄りの会館で夕方17時頃から22時まで警備室で過ごしていた。
冬は寒く、大きな会合があるときには「今晩は!ご苦労さまです!」と来館の度に起立して挨拶をしていた。
更に、中学二年から音楽隊にも所属していたので、その練習も毎週あった。
練習のために電車で30分かけて練習会場である文化会館に通った。
その金銭的、労力的な無駄は計り知れない。
朝晩の勤行で奪われる時間も深刻なものだ。
毎日朝5時台に起床し、朝は五座の勤行を40分掛けて行わされた(日蓮正宗の子供なら、もっとゆっくりなので一時間は取られただろう)。
加えて、夜の三座の勤行だ。
多分20分くらい掛かるだろうか。
これが体調不良以外の日は休日構わず毎日なのだ。
趣味でやりたい人がやるのは一向に構わないが、何故こんなことをやらされなければならなかったのか?
こんな時間があったら、毎日勉強をしたらさぞかし成績が上がったことだろう。
こうして毎日必ず1時間が勤行で奪われていた。
それが小学一年生のときから社会人になり、創価学会を脱会するまでずっと続いたのだ。
真冬の朝のクソ寒い中、当然のように導師をやっていた父は当時何を思っていたのか?
あまりの眠さに居眠りをしようものなら、頭をぶっ叩かれた。
自分たちの価値観を正しいと勝手に押し付け、むしろそのために私を生んだことに激しい憤りを感じる。
当時は洗脳されていて大半のことに疑問を抱くことさえ出来なかった。
だから親に不満をぶちまけても「お前はそれが当たり前だと思ってやっていたじゃないか!今更言われてもどうしようもないだろ!何故当時言わなかったんだ?」などと世迷い言を言う始末。
それが言えたなら苦労はない。
生まれた瞬間から創価学会の家にいた私が、その異常性に気づくことが出来るとしたら、どんな方法があったというのか?
そのことについて何度も父に不満をぶちまけたが、全く話にならない。
多分、根本的に理解できていないのだ。
今でも思い返すと腸が煮えくり返る思いだ。
私の貴重な時間を返して欲しい。
大事な青春期を奪ったことに自覚がないのはどうしても許せない。
この不満、どうしたら解消できるのだろう?