本門戒壇の大御本尊の証拠?日興跡条々事の考察① 不自然な改竄の跡

大石寺で毎年4月に行われる霊宝虫払大法会(れいほうむしばらいだいほうえ)において、信者を前に数々の重宝の風通しを行う御新翰巻返し(ごしんかんまきかえし)という儀式がある。

かつてはそこで日興跡条々事という日興の書いた書物が披露された。

多分、近年は披露していないだろう。

今は色々と技術が向上し、迂闊に披露すれば写真に撮られて厄介なことになることを知っているはずだからだ。

 

日興跡条々事を高々に掲げる阿部日顕氏(昭和55年4月 大石寺 御新翰巻返し)

日興跡条々事を高々に掲げる阿部日顕氏(昭和55年4月 大石寺 御新翰巻返し)

この文献こそ、大石寺奉安堂に奉安される本門戒壇の大御本尊の唯一の直接証拠とされている。

しかし、不自然な改竄の跡があるため、古くから他の富士門流を初めとした他宗から疑いが掛けられてきた。

 

日興跡条々事の不自然な改竄の跡

日興跡条々事の不自然な改竄の跡

 

この写真を見ると、誰でも気づくのが上部の不自然な余白だ。

この余白はもう一つ前の写真、日顕氏の掲げている部分でもはっきり分かる。

どう見ても、何か書かれていたのを削り取ったように見える。

 

そもそも、この文献はどう解釈されているだろうか。

表向きに信者が拝読するときは、このように解釈される(平成新編御書 1883頁)。

日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし

 

ところが、上記の原本を解読すると違ってくる。

 

日興跡条々事 解読文

日興跡条々事 解読文

 

上記の原本から解読し、当該箇所を引用するとこうなる。

日興充身所給弘安二年大御本尊□□□□日目授與可奉懸本門寺

日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊□□□□日目に之を授与す。本門寺に懸け奉る可し

 

赤字にした「本門寺に懸け奉るべし」については後日説明したい。

「授与(授與)」とあるところが平成新編では「相伝」となっている。

「授与」とは与え授けること、「相伝」は伝え渡して後世にもそうさせること。

随分意味が違う。

 

先に結論を言っておくと「本門寺に懸け奉るべし」は後世に書き加えられた疑いがある。

新編御書で「相伝」と故意に読み替えられているのは、「授与」では「後世に残す」という意味が薄まってしまうからだろう。

「□□□□日目授與之」の「授與」を「相伝」とし、その後にあった余白に何者かが「本門寺に懸け奉るべし(可奉懸本門寺)」を書き加えた疑いがあるのだ。

 

四文字程度の余白があること、「本門寺に懸け奉るべし」の疑惑についてはこちら参考のこと。

sokayameta.hateblo.jp