はじめに - 何故このブログを書こうと思ったか?

それほど深い理由がある訳ではないが、最近こんな事があった。

それがブログを書こうと思った直接の要因だ。

ある人がフリマアプリで創価学会の仏具を販売していた。

 

その商品の説明欄には「創価学会をやめたので要らなくなり、売ります」とあった。

ここまではよくあることだが、それと同時にその人は日蓮正宗関係の商品を買い漁っていたのだ。

つまり、創価学会の嫌な部分を散々目の当たりにして落胆し、原点である日蓮正宗に立ち返りたかったのだということが想像できる。

 

しかし、きっとこの人は暫くして日蓮正宗もまた創価学会同様に清廉潔白ではない事を知ることになるはずだ。

日蓮正宗に期待し、創価学会から移籍するも多くの同胞たち(創価学会移籍組)が一人また一人と消えていったのを目の当たりにした私が言うのだから間違いないだろう。

 

私は創価学会二世としてこの世に生を受け、長らく籍を置いてきたが、やはり創価学会に落胆し、そして懐かしさに回帰したい思いが強かったため、日蓮正宗に移籍を決意し、狂ったように活動した。

しかし暫くして日蓮正宗もまた創価学会と何ら変わらないことに気づく。

そうして活動から一線を退き、今に至った。

 

このブログは「創価学会日蓮正宗の人たちにこれ以上間違いを犯してもらいたくない」などという大義があって始めたものではない。

寧ろ、記事を投稿する一番の原動力は自己満足と低俗な承認欲求であり、そしてチャンスあれば小遣い稼ぎにでもなればくらいの浅ましい思いしかない。

下手に動機を美化するくらいなら、本心を述べたほうが潔いのではないだろうか?

 

既に時代は宗教を必要としない所まで来ている。

何か対策を打たずとも、大半の宗教はこれからどんどん衰退して消えていく。

創価学会日蓮正宗にも同じことが言える。

 

ただ、信者になった家族に翻弄される人があるなら、その縁(よすが)となればこれ幸いな思いがある。