難病に苦しむ母、それを支え困窮する父

両親は20代半ばに出会った創価学会の信仰を支えに生きてきた。

人生の大半、およそ半世紀を創価学会に捧げた。

 

「同志」と言う他人ばかりを助ける両親

「家族の幸せの為」と称して、二人は赤の他人の学会員「同志」を助けることに奔走した。

着るものが無くて困っていると聞けば自分たちの使わない服を与え、食べる物が無いと聞けば買い与え、何から何まで献身的に助けてきた。

 

勿論、我が家が裕福で自分たちの生活を満足に出来ているなら、人助けも良いだろう。

だが、自分達が助けてもらわなければならない程に困窮しているのに、人助けどころだろうか?

 

「同志」なら誰彼構わず助ける

創価学会の良さは同志、つまり学会仲間と支え合う所にあると言われている。

しかし、残念ながら現実はそうなっていない。

持ちつ持たれつならまだしも、助けてもらうだけ助けてもらい、今や何処にいるのかさえ分からない。

このように、助けるに値しない人物がそれなりにいる。

助けて貰える事を期待して努力をしなくなる人間だ。

 

この時の私には両親は利他的に見えていた。

自己犠牲を払っても同志を助ける高潔な生き方があるのだと誇らしくさえ思っていたのだ。

 

60代半ばまでは創価学会の最前線で多くの会員を支えてきた二人だが、母が病に伏し、活動に出られる頻度が減ると誰も両親に目を向けなくなった。

 

創価学会興隆の為に尽力した筈の末路

赤の他人の為にあれ程に尽くして来たのに、両親に「恩返ししよう」などと思う人は誰もいなかった。

人生の大半を創価学会に捧げた両親の末路は、悠々自適の楽しい老後生活とは程遠いものとなった。

私が年金を貰う頃よりも倍以上貰えているにも拘わらず、生活は困窮している。

母の介護費用、何かと安易に使って膨らんだクレジットカードのツケ、老朽化した自宅の突然の補習費用、ただでさえ苦しい生活に追い打ちをかける。

そんな時にも、かつて世話になったであろう両親の助けた学会員は助けてなどくれない。

 

今、両親は何を思うのか?

最前線で陣頭指揮を執ってきた二人は、今置かれた状況を見てどう思っているのか?

20代半ばに創価学会に入会。

60代半ばまでの40年を最前線で突っ走ってきた。

二人にとってはさぞかし充実した40年だったのだろう。

毎日のように電話が鳴り、玄関のチャイムが鳴っては学会員が尋ねてきた。

毎晩のように会館に行っては打ち合わせをし、週末は全て創価学会の活動に費やした。

 

それも今は昔、もう誰も尋ねては来ない。

20代半ばから創価学会に50年以上人生を捧げた結果は悲惨だった。