私を洗脳から救ったもの

生まれてから親元で創価学会を強要され、その反発からある時日蓮正宗に入信した。

幼少期から成人するまで創価学会を当たり前に信仰してきたが、脱会する時は思った以上にあっさりしていた。

これについては機会があれば書きたい。

日蓮正宗に入信した結果、幼い頃と変わらぬ信仰スタイルに懐かしさを感じ、どんどん深入りした。

 

信仰に真面目に向き合ううちに御書を研鑽するだけでは飽き足らず、古書店を巡ったり、オークションを見ては日蓮正宗関連の古本を買い漁った。

月に1、2回のペースで添書登山を申し込み、帰りには大日蓮出版社に寄って新しい書籍を申し込んだ。

所属寺院の教師(住職)に頼んで僧侶向けの本を取り寄せて貰った事もあった(余談だが、この教師は個人的にとても好きで、信仰とは無関係に尊敬できる人柄だった。こういう良い人に限って、早くにこの世を去っていくのは本当に不思議だ)。

 

ある日、日蓮正宗の古い史料を私家出版された本を読んでいた時、私の脳裏に衝撃が走った。

それは日蓮正宗を盲信している私を多いに動揺させた。

仕事も手につかなくなり「自分は今まで何をして来たのか?」と考えるほどに落ち込んだ。

暫くして落ち着いたが、私はそれから他宗や日蓮正宗批判系統の書物をどんどん取り寄せて読み漁った。

 

私を救うきっかけとなった批判書

私を救うきっかけとなった批判書

 

創価学会で活動していた時も、日蓮正宗の時も、どういう訳か勉強熱心な人がある時突然活動に参加しなくなり、程なく連絡がつかなくなると言うのを目撃して来た。

それが不思議で仕方なく、両親や周囲の同志にそれを聞くと、帰ってくる答えは御書を我見で読んだから退転したのだと言う。

 

創価学会日蓮正宗も、組織の統制は本当によく出来ていて、組織の足並みを狂わせる者は退転者と呼ばれ、排斥される。

排斥された者の話は誰も聞かないし、決して接点を持とうとしない。

つい少し前まで親しくしていたのに、突然露骨に態度を変える。

電話をしても出ないし、会おうとしても避けられる。

 

私が創価学会の信仰に疑問を抱き、池田大作の姿勢を批判した時がそうだった。

当時所属していた地区の男子部地区リーダーには○○(私)さん、脱会届を持って行くので脱会してくださいと言われた。

因みに、創価学会に脱会届と言う定型書式はない。

嘘を言ってまで私を組織から排除しようとしたのだ。

数時間後には地区全体の知るところとなり、地区部長、地区婦人部長にも連絡がつかなくなり、座談会や本幹(本部幹部会)の誘いも来なくなった。

この組織で連絡を取ってくれたのは婦人部の高齢の女性ただ一人だった。

この方もまた、程なく病死した。

良い人はどういうわけかすぐ居なくなる。

 

こうして私は組織から排除され、創価学会に見切りをつけたのだった。

残念だったのは、そこで宗教そのものから距離を置けばよかったのに、以前から気になっていた日蓮正宗にコンタクトを取ってしまったことだ。

これについても機会が有れば書きたい。

 

話を戻すが、その我見とやらにより私は創価学会のみならず、最終的には日蓮正宗にも不信を抱いたのだった。

どうしてこうも、勉強熱心な人達が組織からいなくなるのか、その謎を自ら経験してやっと知ることとなったのだ(私が勉強熱心かはともかくとして)。

日蓮正宗については、訳あって今も在籍しているが、活動には参加していない。

毎回寺に行くと受付でご供養を納めてきたが、それもしなくなり、講費(檀家料)も納めていないし、機関紙(大白法や妙教、大日蓮)も購読しなくなった。

こちらも、辞めるのは時間の問題だろう。

結局、真面目に勉強する人達が組織を去るのは、教義の欺瞞に気づいてしまったからなのだ。

この謎に辿り着くのにこうも時間が掛かってしまったのは、それ程に強い洗脳が施されているからだ。

 

私はたまたま自ら気づく事が出来たが、珍しいケースだと思う。

組織からやるように指示されていることにだけ従う従順なタイプの信者は簡単に洗脳から抜け出せないだろう。

 

仏陀は人の機根を見て説法したと言われる。

これを対機説法と言うが、洗脳を解くのも同じだと思う。

その人の機根であり、周囲の説得でどうにかなるものではなく、また一概に同じ方法で解くことは出来ないと思う。

 

私は、日蓮正宗の宗史を調べるうちに不都合な事実を知り、それを否応なく受け入れざるを得なくなり、洗脳を自ら解くことが出来たが、その方法は人それぞれだと思う。

何れにしろ、相当なショック療法でない限り、洗脳は解けない。

 

宗教信者を家族や親友に持つ方の中には洗脳を解きたいと言う一心からネットの広い海に情報を求めた人もいるかも知れない。

ただ結論を言えば、本人が気づく以外に洗脳は解けないと言うほかはない。

単に私は幸運だっただけなのだ。

ただ、私に限ればあの本を読まなければ今の自分は無かったと思う。