「我が家の宿命転換だ!100口やるぞ!!」
この何口と言う言葉は創価学会の財務と呼ばれる寄付金の口数の事だ。
1口が1万円。
つまり、100口とは100万円のことだ。
創価学会を原因とした熾烈ないじめ
小中学生時代、酷いいじめに遭った。
当時は何故いじめられるのかと理解してなかったが、何という事は無い。
学校で生徒のみならず、教師にまで嫌がられる事をしていたのだからやられて当たり前だった。
教師相手に新聞啓蒙、選挙の応援依頼
子供に選挙活動させる時点で違法だが、教師に聖教新聞まで取らせようとしていたのだ。
馬鹿だった私は、上手く親に従ったフリをすると言う事を知らなかったので、言われた通りにした。
とはいえ「折伏、新聞啓蒙をやらないと地獄に堕ちる」などと日頃から脅されていたのだから洗脳状態であり、嘘などつけるはずもなかった。
そんな事が理由で担任教師には嫌われていたし、周囲のクラスメイトからも変わり者として見られていた。
それが原因で激しいいじめを受けたのだ。
そのいじめ体験は私の人生を大きく歪めてしまった。
余りのつらさから両親に相談した事が運の尽きだった。
何でも祈れば願いが叶うと疑わない両親は、毎日仏壇の前に私を座らせた。
私は苦しさから逃れたい一心で、それこそ本尊に穴が開くほどに凝視し、何時間も涙ながらに題目を唱えた。
祈れば祈る程に泥沼にはまる
本尊の主題(南無妙法蓮華経)の「妙」の文字を凝視しし、何時間もひたすら、無我夢中で「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱え続けた。
すると、身体にある変化が起きる。
「妙」の文字を中心に周囲の視界が見えなくなり、曇ってくるのだ。
次第に周囲がユラユラと揺らぐようになる。
それを私は、当時「仏界の境地」だと思っていた。
これは、禅宗で言われる魔境と同じだ。
過信する余りに生じる幻覚作用だ。
禅宗で魔境を見ると、正しい「悟り」から遠ざかって誤った確信を樹立してしまうという。
まさに、私が陥ったのはそこだ。
あの不可解な幻覚作用を見た結果、それを「御本尊の功徳、仏界の涌現」と錯誤した。
そこで確信を得てしまい、更に盲信に陥ったのだ。
絶対的幸福境地
確信を得た私は、自信に満ち満ちたままに学校へ行くことが出来た。
しかし現実は思いどおりにはならない。
当然だ。
所が、盲信とは価値観を根底から変えてしまう。
私はいつものように殴る蹴るの暴行を受けるが両親から聞かされた日蓮の受難に自分を重ねて、それを法難だと喜んだのだ。
この苦悩は創価学会の広宣流布を担うために受けるもので「御本尊様に試されている」と思ったのだ。
その試練を今正に受けていると、そう信じ込んだ。
母は涙を流しながら「お前は広布のお役に立つために選ばれたんだ!こんな凄いことは誰もが経験できる事ではないんだよ!つらいなんて思ってはいけない!」そう諭された。
そうこうするうちにようやく小学校の卒業式を迎えた。
卒業式を迎えた時、母には「お前は勝ってんだ!必死で御本尊に祈ったから宿命転換を果たせた!」そう言われ、涙を流して喜んだ。
ほどなく、家族会議が行われた。
「100口のご供養!」
「(私達兄弟に)お前達、我が家はこの宿命転換の為に100口のご供養をしたい!2人とも、お年玉、いいよな??」
初めから「分かった」と言う答えだけを期待した形ばかりの問い掛けだ。
当然、拒否件など無かった。
何年も掛けて溜まったのに、親に生活費として使い込まれたお年玉の残り全額を財務として差し出せと言うことだ。
私は二つ返事で快諾した。
弟は渋りながらも、両親に諭されて応じた。
こうして、ただでさえ生活が厳しい我が家は、100万円の財務を捻出する為に、更なる節約を余儀なくされた。
両親は財務を行った後に貰う領収書を見てご満悦だ。
我が家にとっては大金である100万円は、何の価値もない紙切れに化けた。
その紙切れは創価学会の地元組織の中だけで下らない両親の虚栄心を満たしたのだ。
宗教に狂うと、こんなにも人は物事を冷静に見られなくなる。
きっと、こんな思いをしている人は他にもいただろう。
夫や妻が怪しげな宗教や健康食品にハマり、生活費を使い込むなど。
「家族の幸せの為」などと言いながら、その大事な家族を崩壊させてしまうのだ。