親に強要された信仰

自分のように創価学会二世として生まれ、後に反抗心から脱会する人間は、幼少期に親から信仰を押し付けられて酷い目に遭わされている事が多いと思う。

 

 

朝夕の勤行

まず、毎朝毎夕の勤行だ。

昭和時代に育った自分は、朝5時代に家族揃って起床し、父を導師に仏壇の前に座り、五座の長い勤行を行う。

如何に創価学会がハイスピードで勤行をしていると言っても、家族そろってやる勤行では30分で終わることはない。

どんなに眠かろうと、寒かろうと、そんなのは関係ない。

風邪で熱を出していても37度未満なら仮病扱いだ。

 

学校で何か嫌な事があったと報告すれば、何でも信仰に結びつける。

そして自分の宿業だと言うのだ。

そんな事を小学生低学年から高校卒業まで言われ続ければ、どんな子供でも洗脳されてしまうだろう。

何しろ、子供にとって親の言うことは正しい前提なのだから。

 

罰論

中でも一番苦しかったのは、罰(ばち)を脅し文句にすることだ。

御本尊様、大聖人様はどんなことでもお見通しだ

と言われ、心の中さえ全て見透かされていると言われた。

つまり自分には、心の中にさえ自由が無かった。

冗談であっても「こんな糞本尊、破り捨ててやる!」などと頭に思うことは出来なかった。

 

罰論(法罰論)という言葉は創価学会初代会長の牧口常三郎が考案した言葉だと聞いた記憶がある。

元々日蓮正宗の教義の根底にあるもので、日蓮の言う妙罰と顕罰、妙益と顕益に語源を持つ。

確かこのことについて、「人間革命」で何か書かれていたと記憶している。

二代会長の戸田城聖が講義の中で言った言葉かも知れない。

顕罰(顕益)はすぐに被る軽い罰(功徳)のことだ。

妙罰(妙益)は忘れた頃に被る重い罰(功徳)のことだ。

罰と功徳(利益)は表裏一体の関係で、主に創価学会では罰を教えることで会員に恐怖感情を煽って行事に強制参加させるスタイルが取られていた。

 

話を戻したい。

事あるごとに「お前は業がとても重いんだ」と言われた。

自分にとって記憶にない全くの赤の他人である前世を持ち出して、その前世に行った人物の罪を償えと言うのだから無茶苦茶だ。

その前世とやらは本当に存在するのだろうか?

 

この創価学会ロジック(日蓮正宗でも同様)で言えば、不幸な目に遭って苦しんでいる人たちは、前世の罪の報いでそんな境遇になっていることになってしまう。

道理で、両親は不幸な人を見る目が歪んでいるわけだ。

テレビ番組で寝たきりで苦しんでいる人を見るなり、涙を流して同情するも「あの人は余程業が深いんだね。前世にきっと人殺しでもしたんだろう」と。

そんな事を何の疑問を抱くこともなく言えてしまう辺り、今思えば怖いことだ。

何しろ、言っている当人には全く悪気がないからだ。

 

こうした親に貴重な幼少期を奪われ、不幸な目に遭う子供は創価学会の中では実は少数だ。

多くの子供は、自分のように極端なことを強要されてはいないだろう。

一言に学会員と言っても信仰依存度は様々で、自分の家のように人生を創価学会に全て捧げている家庭はそうは多く無かった。

しかし、創価学会日蓮正宗に限らずこうした酷い目に遭った子供は他の宗教にも散見される。

例えば「ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)」がそうだ。

 

エホバの証人

彼らの話を聞く限り、その害悪は創価学会を凌駕する。

外面こそ大人しく、勧誘に来ても帰るように促せばすぐ帰るが、ことに家族の中では豹変すると言うのだ。

エホバ(一般的なキリスト教で言うところのヤハウェ)を唯一絶対の神と崇め、祝い事や他の宗教行事、選挙や国歌を偶像崇拝であると言って信者に拒否することを強要している。

中でも一番タチの悪いのは輸血拒否問題だろう。

 

私は創価学会の信仰を押し付けられ、学校の修学旅行先では寺社仏閣巡りに著しい制約を課せられたりした(境内に立ち入らない、鳥居をくぐらない、写生会で寺院建物を描かないなど)が、エホバの証人の子供も同じようだ。

それでも、輸血拒否という命に直結する強要は無かったし、誕生日や七五三を祝う習慣までは否定されなかった。

せいぜいが、他宗教をルーツにする行事の不参加くらいだ。

その点、エホバの証人の子は過酷な学校生活が続いたに違いないだろう。

何しろ、国歌斉唱も出来ないし、争いを禁じているので剣道や柔道と言った武道にも参加出来ない

それどころか、かけっこで順位を競うことすら許されないそうだ。

 

こうして見ると、子供は親の人格の習熟度によって大きく影響を受けてしまう事が分かる。

今でこそ「毒親」とか「親ガチャ失敗」、「DV」などと言われ、それらが不当な扱いとして社会的に認知されているが、昔はそんな概念は存在しなかった。

加えて年功序列が一般的な価値観であったので、親は絶対の存在であったこと自体は極めて普通のことだったはずだ。

その状況で宗教を強要されれば、子供にとってとても不幸だろう。

 

具体的な強要について幾つか書いて記事を終わりたい。

注意としては、創価学会では既にこうした強要は行われておらず、形骸化しているということだ。

 

 

鳥居をくぐってはならない

学会員にとって神社は謗法の場所であり、近づくとろくな目に遭わない危険な場所として認識されていた。

その鳥居をくぐる行為が創価学会では、邪宗の神に頭を下げる行為として戒められていた。

 

これは現在の日蓮正宗でも現役の考え方で、面白いことに実は創価学会から逆輸入されたものだ。

つまり創価学会が生まれる前には無かった概念だ。

日蓮正宗で古くから言われていることとしては、神社や鳥居の前で下駄の鼻緒を整えたり靴紐を結び直してはならないというのがある。

古参の信者以外は直接には知らないことだが、本山塔頭で奉公の経験がある法華講から聞かされた。

鼻緒や靴紐をいじるには上体を前傾しなければならない。

それが「邪宗の神仏に頭を下げることになる」と言うのだ。

今となっては何とも馬鹿らしい話だが、信じていた頃は律儀に守っていた。

 

バレンタイン、クリスマス禁止

これも学会員の中では有名な制約だっただろう。

しかし、不思議なことに我が家ではどちらも禁止されていなかった。

バレンタインデーに義理チョコを持って帰れば、ホワイトデーのお返しをしっかりするようにと、買って持たされた事を思い出す。

クリスマスもケーキを用意してもらった記憶がある。

 

厳格な学会の家庭だと、どちらも参加禁止だっただろう。

とはいえ、バレンタインのチョコを相手に突き返したり捨てるような真似はそうは出来ないだろうが、仮にそんな事をさせる親がいたなら、きっと子供はクラスで悲惨な目に遭ったに違いない。

 

初詣禁止

中学生になれば友達から初詣に誘われることは珍しくない。

でも、言い訳を作ってこれを断らなければならなかった。

素直に「うちは創価学会だから神社には行けないんだ」と言えば良かったかも知れないが、クラスメイトや教師に創価学会員であることがバレるのは耐え難い屈辱だったことを思い出す。

何しろ、創価学会を公然と批判する教師がとても多かったからだ。

しかし今となっては教師を責める気にはなれない。

それだけ、創価学会に散々な目に遭わされた人が多く、こうした教師も被害者だったからだ。

今のように信教の自由など、義務教育現場で徹底などされていなかった。

 

例えば、歴史の授業で鎌倉時代の話題が出てくると、執権北条氏と関連して日蓮の話題が必ず出てくる。

私の場合、社会を教える教師が「この中で日蓮上人の信仰をしている人はいるか?」と挙手させられた。

信仰面での嘘を禁じられていた手前、挙手をしないという自由はない。

すると渋々と5人の児童が手を挙げた。

うち1人は日蓮宗の信者、残る4人は創価学会だと分かった。

というのは「この中で創価学会の人は座りなさい」と言われたからだ。

今こんな事をすればニュース沙汰だが、当時はきっと全国で似たような事が行われていたはずだ。

 

お守りや宗教性のあるものを貰ったり買ったり、所持してはならない

親友からお守りを貰ったことがある。

相手の親御さんが私の交通安全を祈願してわざわざ買ってくれたものだった。

せっかくくれたものだが正直困った。

家に持ち帰って親に見つかれば袋叩きにされるからだ。

とはいえ、友達の家族の心の籠もった思いやりを無下には出来ない。

幼いながらに考えて筆箱に隠していたが結局見つかって、父から袋叩きにされ、母からもハタキの柄でミミズ腫れになるまで叩かれた。

貰ったお守りは無惨に鋏で切り刻まれて捨てられた。

 

友達や教師(社会人なら同僚や上司)に創価学会の素晴らしさを広めなければならない(折伏、選挙)

いわゆる折伏だが、自分は最後までやらなかった。

幸いにも嘘がバレることはなかった。

多分、ここまで徹底されていた家庭はかなり珍しいと思う。

だが、建前としてはそうなる。

恐らくだが、昭和30年代の折伏大行進が現役だった世代の子供はそんな目に遭っていたと思う。

きっと、教師から面と向かって嫌味や悪口を言われただろう。

 

折伏はともかくとして、成人していない子供に選挙活動をさせるのは違法だ。

でも、全国で子供に選挙活動を行わせる学会員がいた。