日蓮正宗に感じる違和感「創価学会化」

日蓮正宗の信者を見ていると、地域、寺院によって創価学会とは比にならないほどの温度差がある。

突き詰めればその寺の教師(住職)によって色が出てくるのだと思うが、とにかく寺によって活動の本気度にしろ、折伏の成果にしろ、全く違っている。

 

例えば、大石寺塔中(たっちゅう)の理境坊(りきょうぼう)には妙観講(みょうかんこう)支部があるが、ここは日蓮正宗法華講の中では「対創価学会部隊」のイメージがある。

理境坊は非常に大きな講中で、その規模は1万人にも及ぶという。

しかし、実際には対創価学会部隊は百人規模ではないだろうか。

 

他にも、長野県妙相寺も活発な寺院で知られている。

地方末寺でありながら信者は全国に散在しており、日蓮正宗では珍しくSNSを駆使して全国から信者を集めている。

毎月の御講のために飛行機で駆けつける信者までいる。

あとは、東京池袋法道院、常在寺などは有名巨大寺院だろうか。

 

全国を見渡すと、場所によっては500年、600年近い歴史を持つ名刹もあるのだが、大半は創価学会蜜月時代に建立された寺院であり、外観は昭和40〜50年代初頭に流行したコンクリート造りである。

伝統的な和風伽藍は稀だ。

 

 

大きく分けると日蓮正宗には何種類かの信者がいるように思う。

 

一つが旧信徒だ。

先祖代々の法華講であり、信者は特別活動に積極的ではなく、重要な法事には参加するものの、創価学会を相手にしたりはしない。

教師(住職)に媚びることもなく、タメ口で話す人も珍しくない。

そして、実は正式な日蓮正宗信徒というのは、この旧信徒のことなのである。

我々一般信者は形木本尊を下付されているが、旧信徒は手書きの常住本尊を下付されているのである。

日亨が有師化儀抄註解(富士宗学要集第一巻P113)にて述べているが、形木本尊とは仮本尊であり、我々は仮信者であるのだ。

 

二つ目が昭和52年路線のタイミングで創価学会を退会し、以来法華講として活動している人達。

この人達もそんなに活発ではないし、多くはないだろう。

というのは、当時は創価学会から信者を引き抜くことを宗門が禁じていた為である。

 

三つ目が平成3年の創価学会問題の時に創価学会を退会し、法華講となった人達。

52年路線の時と似ているが、この時は創価学会が表立って宗門に反旗を翻し、実際に破門されている。

この段階で宗門に呼応して移籍した人達だ。

この人達も日々の創価学会を嫌ってのことであり折伏に積極的とはいえない。

但し、旧信徒、52年路線の人達と比べると身内の折伏には積極的だ。

 

最後が平成3年以降で近年創価学会から移籍してくる人達だ。

ここ10年で急増しているようだ。

私もこのカテゴリに属す信者であり、(確か)15年前、平成20年の移籍である。

近年日蓮正宗が最も力を入れて信者を集めた「立正安国論正義顕揚750年法要」のあった平成21年の前年の入信と記憶している。

この世代の信者の人達は他のカテゴリの人とは一線を画している。

まず、創価学会部隊の大半はこのカテゴリの人達が出身である。

特に創価学会員、顕正会員への折伏に熱心であり、人によっては他宗宗教施設に破折と称して押しかける活動家までいる。

TwitterFacebookなどでこの手の人達は簡単に見つかり、自身の携帯電話番号まで公開し、表向きには「創価学会被害者相談窓口」を装っている。

大半は教師に媚びており、教科書通りの呼び方で「御住職様」「御尊師」などと読んでいる。

平成3年以前の人達が「住職さん」「住職」「先生」「○○さん」と呼んでいるのとは対象的だ。

 

このように、一言に日蓮正宗信者と言っても一様ではなく、入信動機によって著しく価値観が違うのだ。

 

 

立正安国論正義顕揚法要の直後、平成27年の日興生誕770年の佳節を迎えるにあたり、早瀬日如は新たな命題を課した。

これには大きな違和感を感じた。

立正安国論正義顕揚750年の際にも違和感を感じるべきであっただろうが、当時はいかんせん私は新参法華講員であり、その違和感に気づくことはなかった。

これについては他の人達から聞くと、平成6年の地涌六万法要のときには既に今と似たような違和感が生じていたようだ。

 

とにかく、平成3年に創価学会を破門してからというもの、宗門は事ある毎に創価学会を意識し、対抗しようとしてきた。

信者の90%を失ってからのスタートであり、最初から争いになる相手なんかではないのだが、それでも戸田城聖時代の創価学会と見紛うほどに活発化していた。

そして、あれほど批判していた創価学会と活動内容は酷似している。

 

創価学会蜜月時代(いわゆる、日蓮正宗創価学会時代)は、法華講折伏などまずしていなかったように思う。

勝手に創価学会がでしゃばり、寺院所轄の地域学会員が折伏し、寺に連れて行って授戒させていたというのが実情だろう。

 

 

とにかく、近年の日蓮正宗はどんどん創価学会化している。

最も敵視しているはずの創価学会を模倣しているというのは、上層部は知っていてのことなのだろうか?

 

創価学会の親に潰された人生

今回はかなりの長文なので、読んでいただこうという意図はなく、単なる愚痴だ。

私の転機は小学2年生の時に転校したことにある。

今でも「あの時転校しなければ別の人生があったのではないか?」と自問自答する。

 

 

宗教二世、三世の問題は安倍晋三元総理大臣の銃撃死亡事件で漸く世間に認知された。

犯人の山上被告の母親は熱心な統一教会の信者で、彼の家はおそらくは相当裕福であったのに、母親の信仰が原因で家族離散、最後には悲劇的な結果を迎えてしまった。

皮肉なことに、この事件によって私たち宗教二世、三世の苦悩は世間に知られることとなり、「宗教二世問題」という言葉が生まれた。

つまり、宗教二世問題はまだ認知されて一年しか経っていないのだ。

 

 

振り返れば、私の人生は苦悩の連続だった。

毎年12月、京都清水寺で発表される「今年の漢字」ではないが、今私の人生を漢字一文字で表現するなら「苦」だろう。

きっと、小学2年生のあの時、転校しなくて済めば別の人生があり、こんなにも苦痛に満ちた生活を送ることは無かったのではないか。

このようなタラレバに意味はないのだろうが、今でもそう悔やんでしまう。

 

 

両親は創価学会の会合で出会い惹かれて結婚したという。

私が赤ん坊の頃は父の会社社宅で過ごし、間もなくして家を買って移り住んだのが一番最初の私の記憶している家だ。

弟が生まれ、当時は祖母もいたので手狭になったこともあり、予てより転居を考えていたようだ。

そうして何件かのモデルルームを見学し、別の市に転居することとなった。

 

小学2年生までは、近所に幼馴染がいていつも仲良く遊んでいたが、彼らは今どういう人生を送っているのだろうか。

転校の最後の日にはクラスメイトが盛大なお別れ会を開いてくれた。

色々なプレゼントをもらい、寄せ書きも貰った。

今でもあの時のことは懐かしい。

 

 

転校した先では初っ端から冷遇された。

学校での教師ガチャが不運だったことは宗教とは関係のない問題だとしても、両親の信仰心に火が付いたきっかけの一つでもあり、これが私の不幸の始まりだった。

 

転居先の創価学会組織は活気がなかったらしい。

当時の創価学会では、折伏(布教活動)、新聞啓蒙(聖教新聞の購読者を増やすこと)、選挙(当然、公明党支援者を増やすこと)が最も重視されている活動内容だったが、転居先の組織はどれも他の地域より劣っていた。

両親はこれを立て直すべく死ぬ気で活動に奔走した。

そして結果はすぐに役職昇進という形で報われることとなった。

 

二人とも、転居前は地区B担だかB長だかの、今で言えば地区部長以下のほぼ末端の役職だったが、気づいた頃には組織の要とも言われる支部長、支部婦人部長に昇格していた。

家には支部長の証である「例の賞状」と、支部旗が誇らしげに飾られていたが、二人の虚栄心はさぞかし満たされたことだろう。

昨年死去した母は最終役職は県副幹部にまでなっており、父は副本部長になっていた。

 

子供の頃、平日は父は仕事が終わればその足で組織の集まりに出ていたし、母も朝から晩まで「今日は何処そこ地区の座談会だ、今日は何々地区だ」と言って家にいたためしがなかった。

幸い、当時は祖母が健在だったので私と弟の面倒は祖母が見てくれていた。

共働きというのでもないのに、両親は平日、休日問わず家にいなかった。

久しぶりの家族旅行で行くのは、東京都新宿区信濃町創価学会本部、或いは静岡県富士宮市日蓮正宗総本山大石寺だった。

 

 

転校先の学校ではなかなか周囲と馴染めず、何しろ大正生まれの担任の教師が意地悪をすることもあって友人が出来ずにいた。

教師の「転校生のくせに頭が悪い」という悪口で傷つき、親に相談したことが私の人生の失敗の始まりだった。

両親は私の為を思っての行動だっただろうが、小学2年生の私に折伏、新聞啓蒙、選挙活動を課したのだ。

私も要領が悪かったので、「やったフリをする」ということを知らず、しかも両親から「信心の活動をしないと地獄に落ちる」と脅されていた為、バカ正直にそれを行ったのだった。

 

やっと出来た友達から貰ったお守りを隠し持っていたときには、父から袋叩きにされ、夜中になるまで家から閉め出された。

喉が枯れるまで泣きじゃくり、酷いしゃっくりで呼吸困難になったことを今も覚えている。

お守りは父に無惨にハサミで切り刻まれ、庭先で燃やされた。

友達には「失くしちゃった、ごめんなさい」と謝ったが、それがきっかけで絶交された。

それをまた両親にバカ正直に涙ながらに伝えると「○○(私の名前)、お前は正しいことをしたんだ!それで去っていくような奴は友人でもなんでもない!こっちから願い下げだと言ってやればいい!」などと言われた。

こうして私はせっかく出来た友人を失い、他のクラスメイトはおろか、教師からも無視されるようになったのだった。

振り返れば、学生時代に思い出といういい思い出は何もない。

あるのはただ嫌な記憶ばかり。

 

 

家の中では私は我が家の宿命を背負う子、などと言えば聞こえはいいのだが、実際の所トラブルメーカーだと思われていたように思う。

対して私を見て育った弟は実に要領よく順風満帆の人生を謳歌していた。

しかし両親は私の表層的な面しか見ようとせず、弟が順調であることを引き合いに出し、努力不足、信心不足だと責めるのだった。

今思えば、私が正直に悩みを打ち明け、そのアドバイスに従ったことが人生が転落するきっかけとなったのだった。

 

 

学校で折伏やら選挙活動をすれば当然周囲から変な目で見られ「こいつ気持ち悪い」と思われる。

次第に私はイジメを受けるようになった。

毎日のように使い走りにされたり、変なあだ名を付けられて馬鹿にされたり、殴る蹴るの暴行を受けたり、金を巻き上げられたりもした。

その悩みを親に相談すると「お題目をあげろ!宿命転換だ!」という言葉ばかり。

今思い返しても酷いもので、我ながらよく自殺しなかったものだと感心する(自殺未遂を起こして騒ぎにはなった)。

これがきっかけで私は次第に心を閉ざし、精神的にも異常を来した。

 

 

高校に入る頃には周囲が自分を「気持ち悪いやつ」だと見ていると思い込む醜形恐怖症の症状を発症する。

通学電車の中でいつも誰かが私のことを好奇の目で見ているという被害妄想に苦しんだ。

小中学校はサボらなかったものの、高校3年のときには単位ギリギリまでサボるようになり、グレたりもした。

既にこの頃には鬱病を発症していて、完全にクラスから孤立していたこともあって、修学旅行は教師に相談して行かない決断をし、意外なほど簡単に休みを認められたのは当時の私には幸いだった。

 

 

波乱万丈な学生生活の後、就職したわけだがこのときには鬱病から更に不安障害、パニック障害を罹患するに至った。

既に通常の生活を送ることさえ苦痛になっていて、今思えばかなりの好待遇で入ることが出来た会社をたったの2年足らずで退職することとなった。

 

 

20代も終わりに近づいた頃、やっとの思いで某家電メーカーへ就職し、そこで一定の評価を得るようになった。

たった一つ、自分に誇れる唯一の仕事であり、私の人生の最初で最後の絶頂機だった。

 

愚かだったのは、評価されたことを母に誇らしげに自慢したことだった。

「○○(私の名前)、じゃあ評価して下さった事業部長さんへの恩返しに、折伏しなさい!お前の宿命転換のときだ!

と言われ、私は「しまった!」と思ったがそのときには遅かった。

折伏』という言葉を聞いた以上、その指示に従わなければ…

冷静な判断など出来ず、何よりも私は「信心の活動をしないと地獄に落ちる」ということを恐れたのだった。

今思い返しても私に施された「洗脳」は強烈だった。

抗うことなど出来るわけもない。

私は「宗教」という檻に心を閉じ込められ、完全な自由は無かったのだ。

 

後日、私は事業部長に相談したいことがあると伝え、仕事後に時間を作ってもらった。

きっと事業部長は真面目な仕事の相談であると思ったに違いない、二つ返事で快く応じて下さったのだった。

他愛のない世間話や仕事の雑談の後、私なりの真摯な言葉で創価学会について話し始めた。

怪訝な顔をしつつも、最初は私の話を黙っていた事業部長だったが話を遮り、

「○○(私の名前)君、君は創価学会から金でも貰っているのか?はっきり言って私は君に失望した。君のことをそれなりに評価していたつもりだったが、結局仕事を頑張っているのは宗教勧誘のためだったということか。」

こんなようなことを言われた。

事業部長は私の分の会計まで済ませ、足早に帰っていった。

ショックで唖然とした。

 

私はその足で実家に帰り、状況を母に泣く泣く説明した。

母は私からもらい泣きして

「○○(私の名前)、お前はよくやった!その何とかっていう事業部長の目は節穴だ!お前は宿命転換を果たしたんだ!

と言われたが、内心は大事な上司の信頼を失ったことで大きなショックを受けていた。

ほどなく、私は仕事がしづらくなり退職することとなった。

 

 

こうして、私は何かあるたびに親に自分の人生を潰された。

人生を潰しておきながら、やれ宿命転換だ、罪障消滅だ、と言って私を散々に騙していたのだ。

最も腑に落ちないのは、同じ家族である父や弟が仕事上何の不利益も被っていないことだ。

苦悩ばかり経験する私には、自分たちでさえやっていない職場での折伏を要求し、そうして私の生活を奪ったのである。

しかもその自覚さえなしに。

 

 

宗教二世問題を経験していない方からすれば「自分の選択の結果だろ」と思うかも知れない。

しかし、私に施された宗教の「洗脳」は強力だった。

親に言われた指示に従わなければ、それはもう「謗法」(ほうぼう)なのだ。

謗法とは「正しい教えを誹謗すること」だが、創価学会日蓮正宗においては広義には、やるべきことをやらないことも謗法と解釈されていて、両親の口癖は「大謗法だよ!」だった。

この言葉は、私を脅すのに十分過ぎる効果を持っていた。

それを知っていたからこそ両親は多用したのだろうが。

 

 

母は昨年18年間の闘病の末にこの世を去った。

18年間の闘病は想像を絶するものであったに違いない。

私は人生の大半を親に奪われたが、母に関しては十分な苦痛を受けたので水に流すことが出来た。

しかし、父に至ってはそういう気持ちを抱けない。

父もまた、母の18年にわたる介護生活という辛酸を舐めただろうが、家族に隠して1000万円近い借金をしていた事実が判明し、私の中で何かが崩れてしまった。

 

去年、母を亡くしてからは父になるべく親身に接してやろうと妻と相談していたが、母の一周忌を迎えるにあたり、父との関係を精算した。

というのは、父に「○○(母の名前)の一周忌は来なくていい。何も兄弟関係が悪いのにこっちに来て波風を立てることはない」と言われたからだ。

毒親育ちというのは、決まって兄弟関係が良好ではない。

多分に漏れず我が家も弟との関係は最悪で、思春期を過ぎてからはろくに口を聞いた試しがない。

父は現在、弟が出張で外泊する際に弟の飼い犬の面倒を見るために弟の家に宿泊する関係だという。

そのため、実家とほど近い弟の家とを頻繁に行き来するようになっていたようだ。

要するに、私が邪魔であるということだ。

 

 

父が金の無心をしたとき、親身に話を聞いて対応していたことが馬鹿らしくなり、「一周忌は来なくていい。」と言われた瞬間、長きに亘って押さえてきた感情が爆発した。

高校のときまでは家庭円満に見えていた我が家だったが、蓋を開けてみればこうして家族離散。

母が口癖のように言っていた「一家和楽の信心」とやらは、砂上の楼閣だった。

 

今、父との関係が最悪に終わったことを母が知ったら一体どう思っただろうか。

今も度々物思いにふける事がある。

「もし、我が家が創価学会でなかったなら...」

「もし、小学2年生のとき、転校しなくて済んでいたら...」

考えても無駄なのに、奪われた人生について考え、別の人生を歩んでいる自分を妄想してしまうのだ。

しかし、失った時間、奪われた私の尊厳は二度と戻ることはない。

 

 

年老いた父が1000万円もの借金を背負っているなどとは弟は夢にも思わないだろう。

そんな父に安い中古車を買い与えるのだから「借金のことは墓場まで持っていくつもりだ」と言って、恩を仇で返されたらどう思うだろうか。

腹を立てる頃には父はこの世にいないわけだが。

父が残している1000万円の借金、飼い猫の面倒を見るのはまっぴらだ。

もう葬式を含めて父に関わることは無いだろう。

 

 

不謹慎なことを言うと、私はかの統一教会の山上被告に酷く同情してしまうのだ。

彼の半生は報道で聞く限りでも私より凄惨だ。

彼の親が統一教会などに現を抜かすことがなければ、彼は犯罪者になることはなく、当然安倍晋三氏も命を落とすことは無かっただろう。

そんな統一教会は宗教法人格を取り上げられ、解散命令が下されようとしている。

 

 

【会長本仏論】戸田城聖は悟りの体現者!?

創価学会はもとより、日蓮正宗系の考え方では、「悟達(悟りに達する)」という言い方は多分しないが、強いて意味を言えば「法華経の極意を完全に熟知した」という事で、成仏とはまた別の意味があるように感じる。

本来、「成仏」とは「悟り」のことだし、「悟り」とは「物事の本質に気づく」ことであるが、本題から大きく逸れるので触れないでおく。

 

日蓮正宗では、法華経の極意(つまり、文底秘沈について)を完全に熟知しているのは日蓮のほか歴代上人だけであると教えてきた。

もっとも、その歴代が本当に知っているかと言えば、それも別問題なのだが。

当然創価学会もそれを踏襲してきたのだが、いわゆる昭和52年路線の指摘を受ける以前は、当たり前のように会長本仏論が唱えられ、「戸田会長は獄中で悟達した」と教えられていた。

記憶では、アニメ「人間革命」で無量義経の「非」についてひたすら思索する戸田の姿が描かれていたと思う。

余談だが、法華経三部経の開経とされる無量義経は原典が存在しないうえ、正体不明の曇摩伽陀耶舎(どんまかだやしゃ;Dharmagathayasas)という人物が訳者と伝えられる真っ赤な偽物の経典である。これについては機会があれば書きたい。

 

とにかく、昔はことさらに「会長は唯一主師親三徳具備」などと強調されて、日蓮と同格に扱われていたのだ。

 

大白蓮華 第276号

大白蓮華 第276号

 

会長 創価仏法の原点は、いうまでもなく戸田前会長の悟達にあります。私が「人間革命」第四巻で書き記しておいたように、無量義経の三十四の「非」を呻吟しながら思索しぬかれた結果「仏とは生命なんだ! 生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!」という生命内奥から突き上げてくる歓喜とともに悟達された瞬間こそ、将来において世界の哲学を変貌させしむるに足る一瞬であった。この一点をはずして今日の創価学会の思潮の大河はない。すなわち、法華経はいうにおよばず、一切、八万の法蔵は、三世にわたり、人間を含め宇宙、自然の森羅万象を貫く“生命”という実在を説いたものであると決定した瞬間に、創価哲学が開始されたのです。その“生命”とは、内より泉水のごとく発現してやまない究極的な力そのものであり、それを五体に「力感」としてみなぎらせていくところに、仏法の実践があるといってよい。

生命の問題は、理論の分析で解明できるものではありません。結局、肉団の胸中にあるものであり、その胸奥につづられてゆくものこそ、真の経といえます。そうでありながら、しかも全人類に普遍の力をもつものこそ、偉大な円融の法理なのです。

大白蓮華 第276号 14ページ

 

驚くのは、上記発言が池田大作本人のものであることだ。

 

さて、果たして戸田城聖はそれほどに偉大な男であったのか?

それについては、別の記事を読めばその片鱗を知ることが出来るだろう。

学会員らが称賛するような人物とはお世辞にも言えないのだが、そんな事はよもや学会員は知らないだろう。

 

学会員がこの記事を見たところで、どうせデマ捏造大昔のことに大騒ぎするな!と言われておしまいなのだが(笑)

 

「創価学会は死者に賞状を送る」は本当か?

こんな記事を見つけた。

 

葬式には、多くの創価学会員も来ていました。その中で、死後に信者がもらえるという賞状みたいなものを渡されたんです。それを、喪主である父がうやうやしく受け取った。私も父も、創価学会が原因で母が泣いているところを見ていましたから、複雑な気持ちになりました。「母は創価学会のせいで苦しんできたのに、こんなものをもらって何になるの? 救ってくれなかったこの宗教って、一体何?」って。

 創価学会を嫌っていた父は、日頃、学会員が家に来たらすぐに追い返すような人だったんです。けれど、その時ばかりは「ふざけるな!」と怒るわけにもいかない。創価学会のものを、父が神妙な面持ちで受け取った時に「これって、何の茶番なの!?」と私は思いました。父もつらかったはずです。

 

 

創価学会員の活動家が死ぬと賞状を貰えるというのは本当だ。

我が家では、父と母ともにかなり上の幹部で、他界した母にはこんな賞状が授与された。

葬儀の為実家に帰省したら仏壇の経机の上にドーンと置かれているんだから驚かされる。

ちなみに、高校時代に祖母が亡くなった時も同様で、ほぼヒラの学会員でも慣例に沿ってか二階級特進の出世を果たした。

確か、名誉支部婦人部長だったか?

 

噂の賞状

噂の賞状

 

母が亡くなり、この賞状を貰った父はさぞかしご満悦だっただろう。

こんな紙切れ一枚で遺族の信者は大喜びなんだから、随分と安く見られたものだ。

 

池田大作の名前で届いた香典

池田大作の名前で届いた香典

 

池田大作の名前で届いた香典の袋の中には金一万円。

元県幹部というそれなりの幹部だったからなのか、一万円は予想より遥かに多い。

こんな立派な香典袋なんだから、数千円では格好が付かないか。

多分、普通の会員は貰えないんだろうな。

 

目録

目録

 

人生の大半、およそ半世紀を捧げた母の最期はこの紙切れと香典一万円と目録だけ。

残ったのは1000万円を超える借金だけ。

それでも父は創価学会を辞めない。

今更辞めたところで、ひとりぼっちになるのが嫌なんだろう。

もう正しい、正しくないなどどうでもいいのかも知れない。

 

残った父が死去したら、やはり名誉なんたら長という肩書が書かれた症状が届くのだろうか。

 

創価学会 二代会長戸田城聖は暴力沙汰で留置場にぶち込まれたことがある

昭和27年9月2日、戸田城聖大石寺において高齢僧侶を集団暴行した嫌疑で静岡県富士地区署に逮捕、勾留された。

 

当時、大石寺において学頭職にあった小笠原慈聞という僧侶は度々問題行動を起こしたり、衆徒を煽動していたようだ。

中でも、神本仏迹論という神を本地、仏を垂迹という説を唱えて日蓮宗への合同を画策したことが創価学会の怒りを買ったようだ。

その結果、小笠原は創価学会青年部に吊し上げられ、暴行された末に詫び状を書かされた。

これが事件となって首謀者の戸田城聖は逮捕されたのだ。

詳細は、以下の日蓮正宗信者のサイトを参照。

検証!「狸祭り事件」

 

上記サイト中の大白蓮華は、昭和27年6月号(25号)で、35ページにあるようだ。

国会図書館で調べようとしたが、蔵書されていない。

興味のある方は調べてみるといい。

https://aucfree.com/items/b344900014

https://aucview.aucfan.com/yahoo/p1046996768/

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000014262-00

 

朝日新聞 昭和27年9月3日3面

朝日新聞 昭和27年9月3日3面

 

創価学会内では、戸田城聖は不屈の精神で戦後の創価学会立て直しを図ったとされ、神格化されているが、度々暴力沙汰を起こしていたことが知られている。

よもや、現役の創価学会員は知らないだろう。

この記事を読んだところで、信じることも無いだろうが。

 

ALPS処理水を捏造記事まで使って反日抗議する中国人とカルト宗教の共通点

時事ネタの福島第一原子力発電所ALPS処理水について書いてみる。

中国のSNS上では、ALPS処理水を巡ってあらゆる嘘を駆使して日本を貶める記事が拡散されている。

全く処理水放出とは関係のない記事の写真を濫用し、「福島のせいで海が黒くなった!」とか「放射能により巨大な怪魚が生まれた!」とか難癖をつけているようだ。

 

 

また、処理水とは無関係な民間企業や個人店にクレーム電話を入れている中国人も相当数いるようだ。

これらの行為は驚くべき事に、正義感に駆られて行われるものだ。

その辺がカルト宗教の思考ととても似ていると思う。

 

例えば、エホバの証人には神権的戦術というものがある。

平たく言うと教えを正当化する為の嘘は許されるというもの。

これは日蓮正宗創価学会でも使われていた。

有名な例では、日蓮正宗の先代管長の日顕氏を批判する目的で写真を切り貼りしたものがある。

学会員が書いた釈明ブログだが笑えるので一読することをお勧めする。

いかなる理由であれ、写真の切り貼りは悪意があり、嘘をでっちあげているという事実に代わりはない

 

しかし彼らはこの嘘が本当に自分達の信仰を守る為のものだと信じているし、嘘をついている自覚さえない。

そう言い切れるのは、かつての私がそうだったからだ。

創価学会ではそれ程活動家というほど熱心では無かったが、日蓮正宗ではかなり活動に没頭した。

創価学会の会館や聖教新聞販売代理店、公明党のポスターを貼っている個人宅を見つけると、事前に用意していた資料を持って「殴り込み」をしていた。

その資料に書かれている内容もまた全部が全部真実ではなく、相当に話を盛ったり脚色していた。

それが真に正しい事だと思っていたし、全く嘘をついたという自覚さえしていなかった。

 

きっと、処理水放出に反対する中国人が記事を捏造してまで日本を非難するのも同様の心理から来るものだと思う。

もちろん、中国共産党プロパガンダの影響もあると思うが。

こうした日本批判は彼らなりの愛国心から来るものであり、中国人を危険に晒す日本に抗議しようという正義の行動のつもりなのだと思う。

 

自分が過去にやっていた事を振り返ると、無知が一番の原因だったのではないかと思う。

そもそも、宗教相手にファクトチェックなど何の意味もないが、少なくとも行ってもいない場所に行ったとか、見てもいないものを見たと嘘を言うのはどうなのだろう?

批判は常に事実に基づいて行われるべきであるはず。

「ソースを出せ」と言われたら出せるようなものであるべきだ。

 

もっとも、先程述べたように宗教にファクトチェックは意味がないので、そもそもとして宗教論争それ自体が不毛でしか無いのだが。

ただ、宗教ではないALPS処理水の捏造記事については、相手を貶めるという手段ではなく、科学に基づいた論証で勝負して欲しいところだ。

 

私を洗脳から救ったもの

生まれてから親元で創価学会を強要され、その反発からある時日蓮正宗に入信した。

幼少期から成人するまで創価学会を当たり前に信仰してきたが、脱会する時は思った以上にあっさりしていた。

これについては機会があれば書きたい。

日蓮正宗に入信した結果、幼い頃と変わらぬ信仰スタイルに懐かしさを感じ、どんどん深入りした。

 

信仰に真面目に向き合ううちに御書を研鑽するだけでは飽き足らず、古書店を巡ったり、オークションを見ては日蓮正宗関連の古本を買い漁った。

月に1、2回のペースで添書登山を申し込み、帰りには大日蓮出版社に寄って新しい書籍を申し込んだ。

所属寺院の教師(住職)に頼んで僧侶向けの本を取り寄せて貰った事もあった(余談だが、この教師は個人的にとても好きで、信仰とは無関係に尊敬できる人柄だった。こういう良い人に限って、早くにこの世を去っていくのは本当に不思議だ)。

 

ある日、日蓮正宗の古い史料を私家出版された本を読んでいた時、私の脳裏に衝撃が走った。

それは日蓮正宗を盲信している私を多いに動揺させた。

仕事も手につかなくなり「自分は今まで何をして来たのか?」と考えるほどに落ち込んだ。

暫くして落ち着いたが、私はそれから他宗や日蓮正宗批判系統の書物をどんどん取り寄せて読み漁った。

 

私を救うきっかけとなった批判書

私を救うきっかけとなった批判書

 

創価学会で活動していた時も、日蓮正宗の時も、どういう訳か勉強熱心な人がある時突然活動に参加しなくなり、程なく連絡がつかなくなると言うのを目撃して来た。

それが不思議で仕方なく、両親や周囲の同志にそれを聞くと、帰ってくる答えは御書を我見で読んだから退転したのだと言う。

 

創価学会日蓮正宗も、組織の統制は本当によく出来ていて、組織の足並みを狂わせる者は退転者と呼ばれ、排斥される。

排斥された者の話は誰も聞かないし、決して接点を持とうとしない。

つい少し前まで親しくしていたのに、突然露骨に態度を変える。

電話をしても出ないし、会おうとしても避けられる。

 

私が創価学会の信仰に疑問を抱き、池田大作の姿勢を批判した時がそうだった。

当時所属していた地区の男子部地区リーダーには○○(私)さん、脱会届を持って行くので脱会してくださいと言われた。

因みに、創価学会に脱会届と言う定型書式はない。

嘘を言ってまで私を組織から排除しようとしたのだ。

数時間後には地区全体の知るところとなり、地区部長、地区婦人部長にも連絡がつかなくなり、座談会や本幹(本部幹部会)の誘いも来なくなった。

この組織で連絡を取ってくれたのは婦人部の高齢の女性ただ一人だった。

この方もまた、程なく病死した。

良い人はどういうわけかすぐ居なくなる。

 

こうして私は組織から排除され、創価学会に見切りをつけたのだった。

残念だったのは、そこで宗教そのものから距離を置けばよかったのに、以前から気になっていた日蓮正宗にコンタクトを取ってしまったことだ。

これについても機会が有れば書きたい。

 

話を戻すが、その我見とやらにより私は創価学会のみならず、最終的には日蓮正宗にも不信を抱いたのだった。

どうしてこうも、勉強熱心な人達が組織からいなくなるのか、その謎を自ら経験してやっと知ることとなったのだ(私が勉強熱心かはともかくとして)。

日蓮正宗については、訳あって今も在籍しているが、活動には参加していない。

毎回寺に行くと受付でご供養を納めてきたが、それもしなくなり、講費(檀家料)も納めていないし、機関紙(大白法や妙教、大日蓮)も購読しなくなった。

こちらも、辞めるのは時間の問題だろう。

結局、真面目に勉強する人達が組織を去るのは、教義の欺瞞に気づいてしまったからなのだ。

この謎に辿り着くのにこうも時間が掛かってしまったのは、それ程に強い洗脳が施されているからだ。

 

私はたまたま自ら気づく事が出来たが、珍しいケースだと思う。

組織からやるように指示されていることにだけ従う従順なタイプの信者は簡単に洗脳から抜け出せないだろう。

 

仏陀は人の機根を見て説法したと言われる。

これを対機説法と言うが、洗脳を解くのも同じだと思う。

その人の機根であり、周囲の説得でどうにかなるものではなく、また一概に同じ方法で解くことは出来ないと思う。

 

私は、日蓮正宗の宗史を調べるうちに不都合な事実を知り、それを否応なく受け入れざるを得なくなり、洗脳を自ら解くことが出来たが、その方法は人それぞれだと思う。

何れにしろ、相当なショック療法でない限り、洗脳は解けない。

 

宗教信者を家族や親友に持つ方の中には洗脳を解きたいと言う一心からネットの広い海に情報を求めた人もいるかも知れない。

ただ結論を言えば、本人が気づく以外に洗脳は解けないと言うほかはない。

単に私は幸運だっただけなのだ。

ただ、私に限ればあの本を読まなければ今の自分は無かったと思う。